元気日記
2022年9月2日
「そんなに前に出たいのかね~?」
先日、知人から教えていただいた話。
とある老夫婦の会話が聞こえてきて
その内容が、
わたしについてだったとのこと。
再び、年明け1月に予定される
市長選挙に出馬するのではないかと
噂をされていたそうで、
ご婦人から発せられた言葉だったそうだ。
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理屈、脳では
#ジェンダーバイアス だ。
「仕方ない」と分かっていても
心、メンタルでは棘となって
抜けない。
こうした経験を
世の女性たちは
至る場面で経験されているのであろう。
仕事で電話を受けたら
「責任者に変わってほしい。」と言われた
管理職の女性。
市役所の書類の「保護者」欄に
自分の名を書いたら
「夫の名前でなくて佳いのか?」と
確認された母親。
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そんな時、
夫や友人の
「あなたはあなたらしく」という励ましに
救われる。
理解する存在によって
エンパワメントされ、
今日も素晴らしい1日が始まったと
再起動できる。
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「前に出たい」訳ではない。
「自分が秀でている」訳でもない。
けれど、
社会に尽くしたいと思っている。
それは、
どんな職業に就く
どんな方々とも
等しく共有される思いではないか。
それは、いけないことなのか。
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前回の市長選挙では
#男性候補者であれば問われないであろうこと を
ネガティブキャンペーンの題材にされた。
◆子どもが可哀想
◆子育てと両立できるのか
どちらも、
「母親のみ」の役割ではなく
「親」としての役割であり、
ジェンダーを問うのはナンセンス。
これまでの政治家は
家庭や子育てをパートナーに丸投げしてこそ
成り立ってきたという
社会が育んできた価値観でもある。
それを、
「#ガラスの下駄を履かせてもらってきた」
との表現もある。
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#ジェンダーギャップ という
格差を埋めるために
見える視界に、
見える景色に、
多様な職業やポジションに、
望む人が望む選択を尊重され
一色に染まることなく
彩り豊かな社会を目指したい。
そして、その様な社会は、
強くしなやかで
持続可能性も高いであろう。
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ジェンダーの課題は、
男性 VS 女性 ではない。
生きづらさを抱える全てのジェンダー
VS 社会・構造 である。
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#ジェンダーロール
#ジェンダーによって役割を着せられる
□リーダーシップ像
男性であれば頼もしく
女性であれば勝ち気で生意気な小娘
□クリーンさ
男性であれば「愛嬌」
女性であれば「スキャンダル」
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ある年の中学校の卒業式では、
仲間を代表しての送辞も答辞も
女生徒が堂々と詠んでいた。
「学校」を卒業するまでは
ジェンダー問わず共に学び
「社会」に出ようとした途端に
女性としてのポジションを
決められ、着せられる。
男性も、
大黒柱という役割を負わされる。
そういう社会に、
我が娘、我が息子を送り出すことを
何とかしたいと願う人々と共に
「あなたはあなたらしく」
人生の選択を尊重され応援される社会を
手渡したいと願う人々と共に
#無意識のジェンダーロール
#無自覚なジェンダーバイアス
#ステレオタイプ に
「あ!それ!」と
気付きや認知をシェアしていくことから
始めたいと考えます。
その様な場として
Lean In Owariasahi リーンイン尾張旭
近々イベントをリリースします☆
お楽しみに♪
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最後に
フィンランド
サンナ・マリン 首相の名言を
付します。
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常に「若い女性」という
レッテルが付いてまわる
マリンのキャリアを鑑みながら、
彼女はこう話す。
「いつか性別や年齢について
問われない時代になってほしい。
私は
出来る限り社会に尽くしたいと
思っているだけで、
男性よりも
能力が上なわけでも下なわけでもない。
何事も
すべて上手くいく保証なんてないけれど、
もし
思うようにいかないことがあった時に
『若い女性だから失敗した』と
解釈されたくありません」
そして、
多くの有能な女性たちが陥りがちな
インポスター症候群についても、
こう語る。
「誰だって、
周りの人の協力なしに
大きな目標を成し遂げることはできません。
それは当然のことなので、
自分を過小評価する必要はないと思っています。
政治の世界で
長年仕事をしていて気づいたのは、
私たちはただ同じ人間であるということ。
そして、
どんな人にも限界があるから、
できないときにも
気に病むことはないということです」
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このコラムを読んで
思い巡った経験と考えを
一気に書いてしまいました。