元気日記

元気日記

2007年7月27日

あたりまえ、に、「在る」こと☆

すっっっかりご無沙汰いたしておりました。
ブログ復帰するタイミングを失っていました。
すみません。
あさっての参院選を前に、
久しぶりに、自分と向き合う時間を持ちました。
この一ヶ月は、
公務とプライベートと、
どちらにも線引きできない事と、
(言い換えれば、
どちらにも線引きできる事)
いろいろいろいろを、
自分なりに、
『立場と役割』を意識しながら
そして、
『自分を大切に』しながら
過ごしてみました。
オフィシャルな順から並べると、
委員会の行政調査にも行きましたし、
市の行事、地域の行事、市民の方からの話を聞く時間・・・
この辺までが、
これまでの私の考える
『しごと』領域でした。
最近、
『パーソナリティ』でするしごと
として、
感性も磨いていくこと、
あるいは
身体や心を休めたり、
自分の基盤である生活や家族や友人を大切にする事
も、
自分が人として、
それらを統合してはじめて
「大島もえ」で居られるのだということを
学びました。
一歩外に出たら、
元気に振舞える状態に
自分をメンテナンスしておくこと、
よく笑い、よく食べ、よく寝て、
よく働く毎日が、
とても幸せなのだと、
当たり前に思えた毎日が、
尊いものだと、
思えるようになりました。
「休む」時間を後ろめたいと感じる自分を、
「メンテナンス中」と、
受け入れることを訓練中です。
・゜・。・☆。・゜・。・☆・゜・。・
この夏、
『私たちは、何かを決めるとき、7代先まで考えて決める』
という
ネイティブアメリカンの言葉に出会いました。
(先日のブログにて紹介したとおりです。)
「現代は、第3次大戦に突入している」
という表現にも出会いました。
その意味することは、
資源を奪い合う、あるいは搾取という行為が、
第2次大戦までのように、植民地とか、領土とかの平面ではなく、
次世代からの搾取という時間軸の中で起こっている
との話でした。
地球環境を、
未だ見ぬ世代に手渡していけるのか、
それとも、
未だ見ぬ世代から前倒しして、いただいて、
今の豊かさがあるのか。
あるいは、
未だに、
途上国の犠牲の上に、
先進国の豊かさがあり、
「私」は、搾取する側に生き続けるのか。
環境を考える時、
身の回りのできることから始めようと、
マイボトルを持ち、マイ箸を持って、
「使い捨てしない」をできるだけ意識しています。
そして、
社会のしくみの中で、
輸入作物は、それを運ぶために膨大なCO2を排出しているから、
できるだけ地産地消を心がけようとか、
場面場面で考えるように、そして、選択するようになりました。
しかし、個人でできることも大切にしながら、
一方で、
「意思決定の場」で
選択することも同じように大切です。
個人がCO2削減に努力するために、
地産地消を考えることも大切だけれど、
自給率を上げるために予算を投じたり、
貿易のあり方を考えたり決めたりするのは、
それらの意思決定をしているのは、
結局「政治」のテーブルです。
私の左手に
この2年の間ずっとはまっている
ホワイトバンドは、
「3秒に一人、貧困を理由に子どもが死んでいる世界」

「ほっとけない」という想いとともに、
単なる募金運動ではなく、
「先進国が途上国に貸している借金の利息を帳消しにする」
ことを
「先進国の政策として」、「選ぶ」
ことを求めていく意思表示のツールでもあります。
(例えばODA政府開発援助一つとってもいろいろあって、
無償で途上国開発支援をしているわけではなく、
12%とか、サラ金並みの利息をつけての有償支援で、
のものもあるらしい。。。
日本では、無償支援だと誤解している事も多いという。
途上国にとって、利息の返済だけでも大変で、
児童労働や貧困の原因にもなっているとのこと。)
私は、生まれたときから
日本国憲法があり、
20歳以上の男女に参政権が
等しく与えられている時代に生きてきました。
しかし、世界に目を転じれば、
市民に参政権が平等に与えられていない
例えば軍事政権の国など、
「一票」を投じる事が、
決して
「当たり前」に存在しない国もあります。
そのような国では、
自分の未来を
自分で選ぶことができません。
市民の命や人としての尊厳などなく、
軍事力の駒としてカウントされているにすぎません。
それは、戦前の日本もそうでした。
独裁あるいは、資本家や富裕層、軍部だけが
政治に参加し、
国の舵取りをしていた時代から、
勝ち取ってきた歴史の上に、
現在の「一票」があります。
私たちは、
地球環境や途上国の現状に
視野を広げる事ができるようになり、
きれいな水、空気、安全な食物

「当たり前」に
存在しているようで、
実はありがたい事だと、
気付き始めました。
同じように、
所得にも性差にも年齢にもよらず、
唯一
誰もが平等になる時、
選挙で投票するという
「一票」こそ
究極の平等だということが、
実は、尊いのだと、
多くの人が気付き、
投票率が上がってほしいと
願っています。
一票を捨てるのも、
憲法を捨てるのも、
もったいない。
ここに、
ノーベル平和省受賞
デズモンド・M・ツツ大主教の
言葉を引用します。
『私たちは新しい社会をつくるんだ、
 と心から思いさえすればいいのです。
 子どもの権利を含めて、
 人権が重んじられ、守られる社会、
 いまよりもっと
 いたわりと分かちあいの精神にあふれた社会をつくるんだ、
 と思いさえすれば、
 私たち一人一人が、
 変化をもたらす力となります。
 なぜなら、政治家たちは、
 人びとが望むものをさしだすしかないからです。
 ですから、
 さあ、政治家たちに言いましょう、
 私たちは、
 すべての人が平和で豊かであることを望みます、と。
 今日がはじまりです。』
未来を選べることは、
尊い事です。
この日本に生きる、私たちひとりひとりが
世界中の人々の一票を背負っている
ともいえると気付きました。
先進国の私たちが、できること。
新潟の被災地にカセットコンロを送った様に、
被災していない私たちだから、できたこと。
同じ様な、気がします。
人は、自分が思う様に動かせるのは、
「自分自身」しかありません。
だから、
私も、
「動けば変わる!」と
自分自身に唱えながら、
一日一日の行動を選んで生きたいし、
政治を志した原点の
民主主義とそれを保障する
憲法を大切にしていきたいと思います。
政治が、
すべての人の平和と豊かさをつくる道具として、
役立つものでありますように。
みんなで、
投票に行きましょう♪
ありがとうございました。
大島もえ

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