元気日記

元気日記

2006年8月31日

マナーとアイデンティティーの境界☆

今週は、先週までの約2ヶ月続いた「動」の期間から一変して「静」の期間に突入。
とにかく机に向かっている時間がとても多い。
だから、いつも留守で帰宅後に不在伝票を発見する宅配便や、新聞の集金、留守電ばかりといわれる事務所の電話にも出られたり、本当に有意義なオフィスワークを送っている。
積み重なった資料も、少しづつファイリング・・・まだまだ、山100個分の1つ2つ片付いたくらいなものだけれど。
ふと考えると、市は、400人以上の職員の方々が、1,000余りの事務事業を行っていて、それら一つ一つ、出会う課題ごとにファイルを作ったり、記録を束ねていったら、どうりで私の自宅兼事務所は日ごとに紙の山になる訳だと思う。
私は、いろいろな人の職場、オフィスを見学させていただく事に興味がある。
最近、コクヨの「仕事の達人」WEBを参考に、ほんの少し改良した。
9月議会の準備期間であり、議案の精読&質問作成のとても集中力を要する期間であり、また、一方で、手帳に予定を詰め込んでいないので、急な依頼などに応えられる時間も生み出せて、とても嬉しい。
先日先輩から、手帳に余白、スケジュールに余裕をもっていると、創造性が生まれ易く、よい発想で物事を進められるし、余裕のある人には、相談ごとなどもしやすいし、相談をされてもしっかり応えようとできるから、信頼関係も築きやすい・・・などの好循環が生まれるものだという話を聞かせてもらったばかりで、ちょっとだけ、そのステキな循環を体感中です。
この間、毎日毎日いろいろな方から与えていただいたり経験したりして「受信」してきたたくさんの材料を、整理して、お料理する期間。
そんな中で、少し自分の中で導き出せた事は、自分の中で「マナー」だと思っていたことが、他者にとってはマナーとしてではなく、私の個性として映ることもあるということ。それが、時に、よい印象としての個性であったり、未熟な点として映ったり、どちらもあるけれど。
そして、その反対に、相手が当たり前の事として行っている事も、私にとっては(良くも悪くも)新鮮な行動だったりする。その事に出会った時、免疫のできていない頃は、あたふたしたものだけれど、最近ほんの少〜しだけ、動じなくなった。
だから、いろいろな人が居るっていう事を知ることは、人間を分厚くするというのだなあと改めて思ったりします。
だから、最近は、「ふつう○○でしょう!?」なんて、よく、自分の中の常識を一般論のように語りそうになる場面も、「ふつう」とか、「一般的には」とかの装飾語で裏打ちしようとしないで、「自分は」○○と思う。という様に、一人称で語る事を意識している。
そうすれば、異なる意見を持っている人とでも、「異なる」けれども、どちらかが「正しい」とか「正しくない」とかではなくて、その人の生きてきた背景がそのような考えを導いているのだから、それはそれとして認めていこう。という空気の中で、お互いの考えを伝えたり交えたりする事ができるようになる。。。気がする。
社民党の福島瑞穂さんが、排除ではなく、包み込む社会「inclusive society」を目指すといっていた。
そんな社会をめざすには、まず、自分から、そんな人に、なりたいなあと、思うこの頃でした。
今日は、かなり抽象的な日記になってしまい、ごめんなさい★
明日から、9月です!!
顔晴っていきます♪♪

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