元気日記

元気日記

2022年10月1日

Lean In Owariasahi リーンイン尾張旭 (尾張旭市 市民活動登録団体)

\Open Cafe 会/
_開催レポート_
2022.9.30(金)10:30~11:45
〔 グリーンシティプラザ 〕
―――――――――――――
わたしもメンバーの一人として
企画・開催・参加しました。

 

長文ですが

読後に何か勇気や
仲間と一緒に居る心強さが
残ってくれたら
とっても嬉しいです。

 

尾張旭市周辺にお住まいの皆さま
join us ♫

ぜひ、ご連絡ください。

【以下、団体の投稿転載】

___

■「女性のあたりまえ」を話そう!

 

多様なバックグラウンドを持つ
メンバーと一緒に、
日常の中でいつの間にか
女性としてあなたが担っている
役割について話してみませんか?
___

 

バイオリンと電子ピアノの演奏に始まり♫
会にちなんだ、なるほど!の
選曲でした。

 

女性作曲家のパイオニア
ファニー・メンデルスゾーン – ヘンゼル
(Fanny Mendelsshon-Hensel)
ぜひ、調べてみてくださいね。

 

おかげさまで、
募集以上の方々にご来場いただき、
大盛況に終わりました。

 

メンバーも含め、
ご参加いただいた
皆さんそれぞれに、
たくさんの気づきが
あったようです。
___

 

チーム名にもなっている
“LEAN IN” とは
「一歩踏み出すこと」
「挑戦すること」

 

この本に勇気をもらった人々が
今、世界各地で
LEAN INサークルを立ち上げています。

 

すべての人々が
ジェンダーに縛られず、
自己決定が尊重され
応援される世の中にしたい。

 

生きづらさを抱える
すべてのジェンダーを支える
コミュニティです。
___

 

この本との出会いによって、
「当たり前」の役割を
着せられてきた日常の
経験や感情に名前が付き

 

仕組みや背景を
理解できたことで

 

生きづらさや違和感を
自分を責めるのではなく
ジェンダーステレオタイプという
構造によるものだという
気付きを得て

 

勇気と
社会で生きていくうえでの
知恵や経験を、
受け取ってきました。

 

話の主語を
「太郎さん」から「花子さん」へ
ジェンダーを入れ替えるだけで
内容から受け取る印象が
ガラリと変わることは
驚きの手法でした。
___

 

この書籍のように
そのものが、
集まった仲間からの
学び、励まし合い、支え合いにより
エンパワメントにつながる
存在でありたい。

 

今後も、
お話しを持ち寄って
語らい会える場を
つくっていきます。

 

尾張旭市周辺に住む
仲間のあつまりです。

 

共に
エンパワメントしていきましょう♪
join us !
___
 ̄ ̄ ̄
■アンケートより(抜粋)

 

>ジェンダーに限らず
 マジョリティ側に居れば
 気付けなかったり
 言われて気付くことも多いので
 発信が大切だと思えた。

 

>自分が気にしたことがない
 みなさんのモヤモヤを
 知ることができて
 学びになった。
 自分自身のキモチを
 整理する、再認識する
 キッカケになった。

 

>集まっておしゃべりして
 「一歩」進めることが
 大切だと思いました。
 活動を応援しています。

 

>もっと聞きたいなって思った♡
 話すことにはドキドキするなと
 思っていたけど
 参加の人たちがあったかく
 いい雰囲気で聞いてくれて
 嬉しかった。
___
 ̄ ̄ ̄
■シェアされたお話(抜粋)

 

>海外から帰国してみて
 見えた日本はとても心配。
 Y世代(30~40代)は息苦しい。

 

>痴漢に遭った原体験に
 自分を責める気持ちもあったが
 イギリス人夫が
 「例え裸でいても、
  侵されてはいけない人権だ」と。
 癒やされた。

 

>勝ち気で
 生きづらさに気付かず来たが
 シェアする内に、
 「あー、これだ」と
 気付きを得た。
 責任者として男性と同行した先で
 相手は随行者の男性ばかりと話す場面。
 リーダー職と家庭との両立を
 恐れている潜在意識など。

 

>自分は配偶者を「夫」と呼ぶが
 相手の配偶者を呼ぶための
 適当な呼称が日本語には見つからない。
 「主人」「旦那」以外の
 呼び方の知恵をみんなで出し合った。
 「夫さん」「パートナー」「個人名」

 

>PTA役員に「母代」という
 性別固定の役職がある。
 また、PTA会長は
 男性縛りとなっている上に
 夫がPTA会長を務めても
 家庭で一役務めたことに
 カウントされず
 一般役員を免除されない。

 

>親の介護の場面で
 きょうだい内で当たり前の様に
 「娘」である自分に
 役割を期待される。
 「母の分身」としての期待も。
 「娘」も「息子」も
 単に「こども」であるのみで
 こどもとして親の介護に臨む。

 

>自己決定した人生であっても
 「夫の実家に帰ってくる」という
 家族に尽くす選択だと、
 それだけで評価が上がるのは
 社会的にそれが求められている
 ステレオタイプだからなのかな。

 

>こども関係書類の保護者欄に
 自分の名前を書いたら
 「お父さんは居ないのですか?」
 と、訪ねられる。
 実際に参加する母親の名前では
 なぜダメなのか。
 反対に、
 PTA活動には母親の名前を求められ、
 町内会活動では、
 実働が妻でも夫の名前を求められる。

 

>家族計画の際に
 子育てと仕事の両立を不安に思い
 こどもの数を決めがちであったが
 学びを得て考えが変わり
 一人の人として、
 望み授かったこどもを産む決断に
 つながった。

 

>ケア労働は、
 女性であっても信頼される分野にあり
 マイノリティとしての感覚を
 経験してこなかった。

 

>日本では、バイオリニストは
 利き手に関わらず
 左に楽器、右手で弓を
 もつことになっており
 そうでなければ
 オーケストラの面接すら受けられない。
 海外では、どちらであるかは
 問われない。
 マジョリティ優位、
 カタチにとらわれている日本社会が
 伺われるエピソード。

 

>写真撮影などが
 当たり前になりつつあるが
 それが苦手な人の存在を知ることも
 マイノリティ性を知り、
 他者の靴を履くエンパシーに
 つながること。
___
 ̄ ̄ ̄

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